ある塗物屋の物語



昭和10年代ころの田中屋漆器工房(弘前市一番町の店舗の二階)の様子。
後ろほぼ中央の人物が5代目・田中正雄(1898〜1954)
(津軽塗資料館収蔵)


 

田中正志(1914〜1945)田中三郎の五男が出征のために田中屋の店頭で写した昭和14年の記念写真。前列中央の着物姿が田中三郎。その右隣が田中正志。
正志は終戦の年、昭和20年に軍属として飛行機事故で死亡。享年32歳。
(津軽塗資料館収蔵)




昭和23年、当時向かいにあった消防署から消防車が暴走して店舗に突入したハプニング。幸い怪我人は無かった。写真は東奥日報の記者が写してくれたもの。看板から当時は雑貨なども扱っていたことが分かる。
(津軽塗資料館収蔵)



田中家代々の人々


初代田中孫十郎
? 〜1862
二代田中末三郎
1821〜1884
三代田中 政吉
1856〜1925
四代田中 三郎
1878〜1963
個人創業五代田中 正雄
1898〜1954
六代田中 順造
1927〜
現会長七代田中 久元
1956〜 現社長

◆初代・孫十郎は、大変な大男で、右手に米俵一表、左手に一表、右足に一表、左足に一表、くくりつけた上に、さらに、一表を背負って、動いたと伝えられる。その体力が買われてか参勤交代で江戸まで行っている。

◆二代目・末三郎は津軽藩の侍であったが、取り立てられて御目見え(殿様に拝謁する)になるべきところを、御維新(明治維新)のために逸したという話が伝わっている。
しかしこの話は当時の下級武士の家全般に伝わる「伝説」なのかもしれない。





一枚のへら


下地を付けたり、漆を練り合わせたり、漆塗にはへらが欠かせない。
どんな木質でも良いわけではなく、腰が強くしなりがあって、イタヤカエデが最良とされている。このイタヤカエデの木を削りだして漆ベラを作る。
これはその削りだして乾燥させている途中の物
田中三郎が晩年に、孫にあたる順造のためにと作っておいた一枚である。






前へ ホーム